柳田悠岐のフルスイングはどうやって生まれたのか?




ソフトバンクにドラフト2位で指名された柳田選手。

柳田選手は、広島経済大学出身。

地方リーグながらずば抜けた身体能力を持ち、当時、日本ハムの「糸井嘉男(現・オリックス)二世」と呼ばれていた。

もともとは「野球は高校まで」と決めていた。

名門・広島商高出身。

高校では伝統校の中で心身を磨いたが、大学では自らで考えて行動できる環境を追い求めていた。

そこが広島経済大学だったということです。

広島経大の持つ独特な空気感が、柳田の成長を後押しした。

柳田選手の大学時代のコメントとして

「3割、30本、30盗塁より……僕は1番という打順が好きで、1番やのにホームランが37本! でも、打率は2割7分みたいな……そんな選手になりたいです。そっちの方が格好よくないですか?」

自由奔放で柳田選手らしいですね。

そんな自由奔放な考えは大学の指導方針によるところも大きい。

攻守走の3拍子に加えて、柳田の代名詞でもある「フルスイング」は当時から群を抜いていたという。

同野球部の基本方針として、失敗を恐れない全力プレーがあった。

つまり「三振OK!!」。

そうしたチームカラーが、柳田のスタイルを作り上げたと言っていい。

柳田選手の小学生時代はどうだったのでしょうか?

当時からフルスイングをしていたのかが興味がありますね。

柳田選手の小学生時代は、走攻守にわたってワイルドなプレイスタイルから、粗っぽい選手に見られがちだが、実はそうではなかったとのこと。

小学校時代の恩師が、当時の印象として挙げていたのが「体は小さいけれど足が速くてすばしっこかった」「とにかくバットコントロールが抜群に上手かった」というもの。

あるトレーナーは、

「巧緻性(こうちせい)や体の身のこなしといった能力は、小学4~6年で決まります。この時期を我々の世界では“ゴールデンエイジ”と呼びますが、ここの過ごし方で、いわゆる“センス”が決まります」

柳田選手は小学生時代にセンスを磨き、体が大きくなるにつれてフルスイングを作り上げていったのですね。

少年野球ランキング!
広告




スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク